人の世界を動かす歯車 試し読み

/ナイトメア・プログラム

山下たずね

 ギイ博士のきんきんとした金切り声で目が覚めた。「トミー! トミー!」……おっと、よくよく聞けば、その声はぼくを呼んでいるらしい。
「トミー! トミー!」
「はーい、ただいま!」
 あわてて床から体を起こし、積み上げられた書類の山のあいだを縫うようにして部屋を出る。廊下をどたばたと走るあいだじゅう、関節はきしきしとぼくの不注意を責めていた。またやってしまった、本に読みふけっているとよくベッドを忘れるのだ。
「トミー!」
「はい!」
 ギイ博士はだいぶご立腹だ。つまるところ、いつもどおりだ。ギイ博士はいっつも何かに腹をたてていて、そのせいで博士の奥さんは博士を置いてどこかへ行ってしまった。
 用途不明のがらくたが積まれた廊下を通り過ぎ、突き当たりの扉を勢いよく開けると、はずみで部屋の中の紙束が雪崩よろしく崩れた。くぐもった悲鳴。「トミィィィ!」
 この研究所にぼく以外の人間はギイ博士しかいない。ということは、いまの悲鳴は、
「泥棒!?」
「たわけが! さっさと助けんかこの馬鹿トミー!」
「あれっ、博士!? どうしたんですか? 火事ですか?」
「いいからさっさとこの紙をどけろ!」
「うわあたいへんだ、火事だ火事だー!」
 ぼくは手近にあった空の水槽をひっくり返す。けれど空の水槽はやっぱり空のまんまだった。水は一滴も出ない。
「博士、水がありません!」
「こんのくそたわけが! もういいわ!」
 紙で真っ白い床の一部がぐっと持ち上がったかと思うと、顔を真っ赤にした博士が飛び出してきた。なんだ博士、このあいだの床下のネズミ退治のつづきでもしてたのかな?
「ねえ博士、やっぱりこんなに紙があっちゃ大変ですし、なんとかするべきじゃないですか?」
「なんとかするべきなのはお前の頭だ!」
「ええっ、ぼくですか? まだ脳みそはちゃんと入ってますよ?」
 紙を積み上げながら、本当なんだろうな、と博士はぼくをにらんだ。
「このあいだ渡した本は読んだんだろうな」
 どうやらそれが聞きたくてぼくを呼びつけたらしい。やれやれ、それくらいの用件なら糸電話でもすればいいのに。
「読みましたよー。これでぼくもUNIXグルになれますかね」
「たわけ。あれっぱかしで書けるようになったら苦労はせんわ」
 まあでも、と博士は本棚から分厚い本を一冊ひっぱり出した。
「次はこっちを読め。……これでわしの研究も少しは楽になるな。何せバグ取りもいないのは難儀でなあ」
「バグ取りならそこからぶら下がってるじゃないですか」
「たわけ! あれはハエ取り紙だ!」
 博士が怒鳴りながら投げた本が、せっかく積み上げた紙束の木の一本にぶちあたった。紙が無残に散っていく。
「博士、前に博士がぼくによこした本にも『紙を減らせ』みたいなことが書いてありましたよ。環境破壊ですよ」
「環境? ふん、知ったことか」
 博士は心底ばかばかしい、と言いたげに鼻を鳴らした。
「こんな星、滅んでしまえばいい。わしが何を成したいか……忘れたとは言わさんぞトミー」
 ぎらぎらと光る博士の目をまっすぐ見すえつつ、ぼくは記憶をたぐった。そうだ、たしか前にべろんべろんに酔ったときに言っていた、
「再婚ですか」
 博士の顔が一瞬で真っ赤になった。
「おおぼけくそたわけ! なんべん言えばわかるんだ!」
 そこで博士は潜水していたクジラみたいにいちど息を継いだ。
「この世界を「あ、そうだこの世界をぶっこわすんでしたっけ?」
 博士がガクッと肩を落とした。どこかのネジかワッシャでも外れたのかな?

改造された男
機械と魔族とそれから人間
ずっと離さない
/ナイトメア・プログラム
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山下たずね

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