「志」第一巻 試し読み

希生と司と京都

咲倉結裡

 大きな仕事が片付いたのは、夏休みが終わり、それから少し経った秋だった。
 俺はドライバーの内海さんが運転する車の後部座席に座っている。隣の席には、楽しそうに窓の外を眺めるさんの姿があった。
 彼は大手ホテルグループ「篠崎ホテルグループ」の社長の息子だ。そして、俺、は彼の執事を務めている。希生さんが高校に進学する際に、「同い年の執事のほうが信頼関係を築きやすいだろう」という社長の計らいで、俺は希生さんの執事になった。無邪気で子どもっぽいところのある希生さんだが、社長の言う「社長を継ぐための修行」に対して一生懸命に取り組み、いくつかのホテルの経営をみごと改善させた。
 そして今、この車は京都にある割烹店に向かっていた。
「衆芳苑の大将さん、元気に頑張ってるって言ってたよ」
「そういえば、希生さん。昨夜、京都のお店に行くとお伝えしましたか?」
「うん。あそこは技量のある、本当にいい料理人が集まっている。ぜひ味わってきてくれ、だって」
「そうですか。楽しみですね」
「うん!」
 衆芳苑とは、前に「ホテル花菖蒲」を立て直そうとしたときにお世話になった、現地の小さな料理屋だ。今日行く割烹店は、そこの大将が若かりし頃に働いていた店だ。
「それにしても、司。京都って、本当に観光客が多いね」
 渋滞気味の四条通の歩道は、外国人観光客であふれかえっている。それを希生さんは心配そうに見つめて言った。
「京都の観光客数は年間五千万人を大きく上回って、増加傾向にあるそうですよ。今はまだ紅葉が始まったばかりですが、シーズンまっただ中になるとさらに観光客でごった返すことでしょう」
「じゃあ、京都は観光都市なんだね」
「そういう側面もありますが、一方で学生の街とも呼ばれていますよ」
 希生さんは不思議そうに俺のほうを見た。
「学生の街?」
「京都には三つの国立大学があります。京都大学と京都教育大学、京都工芸繊維大学です。それに加えて京都府立大学、京都府立医科大学、京都市立芸術大学の三つの公立大学。さらに、有名な私立大学のキャンパスも多くありまして」
 と、希生さんのほうを見ると聞いてない様子だ。
 そういえば、希生さんは進学のことはどう考えているんだろうか。そんなことを考えながら、俺は希生さんが見ている窓の外に視線を移した。
「さっきから希生さんは何をご覧になっているんですか?」
「あれだよ」
 そう指差されたほうを見ると、コンビニがあった。
「あれのどこが……、なるほど。色合いが普通の店舗と違うのですね?」
「そう! なんっていうか、京都っぽい色だよね」
「確かにそうですね。京都は景観に関する条例があり、建造物の高さや、色合いなどの細かな規制があります」
「景観を守ろうって京都の人たちは頑張ってるんだろうけど、なんだか大変そうだね」
「そうですね」
「普通の家とかもなんだか、京都っぽさを感じるような見た目をしてるような気がする」
「あれは、京町家と呼ばれるものです。京都には約四万七千軒の京町家がありますが、高齢化や経済的理由などによって所有者が京町家を管理できなくなるケースが増えていますね。しかし、京都市から税金面での優遇措置が取られており、保存する方向に舵が切られています」
「管理できなくなった京町家はどうなるのかな?」
「空き家となる場合がよくありますね」
「空き家になっちゃうのって、なんだか勿体ないよね」
「勿体ない、というのもありますが、空き家は犯罪や事故に繋がる恐れがあります。様々な対策はとられているようですが……」
「篠崎様、泉様、到着しましたぞ」
 内海ドライバーの声で、二人は車を降りた。

仮面夫婦な高校生
赤い魚の住み家
希生と司と京都
九十九神の嫁入り
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その代償

咲倉結裡

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