「志」第一巻 試し読み

九十九神の嫁入り

綾瀬琉香

 町はずれの山のふもとから少し上がる。
 人は来ないのに道は踏み固められ、その上に放られたままの枝が折れて転がっている。
 その先に数段低い階段と人が一人だけ通れそうな鳥居。
 里見愛梨は息をつき、見えない空を見た。
 紅葉が重なり、濃い赤やくすんだ赤が本物の空を隠す。
 森だ。
 人の手が加えられていないその独特の世界が里見を魅了する。
 シシシと一人で笑う。
 階段を三段のぼり、鳥居の前で適当に一礼して鳥居をくぐる。
「里見さん、こんにちは」
「久しぶりー」
 小学校低学年ぐらいの男の子が箒を持ち、広い境内をはいている。
 頭の下げ方、言葉使い、それらすべてが子供らしく見えない男の子は九十九神だ。
「、おじ様は?」
「離れの奥のいつもの部屋にいらっしゃいますよ」
「ありがと」
 本当は何百歳も年上の棗は頭を下げて里見を見送る。
 静かな神社だ。
 人の気配は全くしないが、小さいころからそういう場所なのだと知っている里見は怖くない。
 社を越えて、離れの方の玄関を開ける。
「おじさーまー」
「ヤットキタカ、サトミ」
 片言の甲高い声に耳が痛む。
 里見は靴箱の上にいる声の主、招き猫を睨むとおでこのあたりを叩いた。
「ミケ様、うるさい」
「シツレイナ!」
「うるさいもん」
 コトコトと動く招き猫はさっさと廊下を進む里見を見送る。
 まだ、姿を見せていない九十九神たちが、ザワザワと里見を見ては騒ぐ。しかし、それらは里見の目にも、耳にも入らない。
「おじ様」
 離れにある最奥の部屋の襖の向こうに声をかける。
 ごそごそと動く音がして、勢いよく襖があいた。
「入れ」
 ただ低い声がして、入室を許可した男が部屋の奥で里見をじっと見る。
 里見が入ると襖は勝手に閉まった。
「あれ? おじ様一人」
「悪いか」
「ううん」
 里見が叔父様と呼んでいるはこの小さな土地の主で、何かの九十九神らしい。
 里見も詳しくは知らないが、纏は里見の幼少期からいいおじさんで姿が変わらないので一応信じている。
「他の子たちはいないの?」
 他の子というのはもちろん九十九神である。
「今はな」
 形ないものは多いが、里見に姿を見せてくれるものが今日は少ないらしい。
 棗の他の九十九神の友人にも会いたかったので、残念に思いながらそろそろと纏のいる机に寄る。
 何が書いてあるかわからない巻物をのぞき込む。
「お前、いくつになる?」
「来年、二十歳。もう大人になるよ」
「そうか」
 うれしそうな里見とは正反対に、纏は残念そうに溜息を吐いた。
 喜んでくれると思っていた里見は年にしては幼い顔を傾ける。
「人間は年を取るのが速いな」
「そうなの?」
「ああ」
 里見の目の端で、巻物の文字が浮かび上がるのが見えた。
 読めはしないが、良くないことが起きるのだと直感で分かった。
「おじ様? なにするの」
「愛梨」
 数えるほどしか呼ばれたことのない下の名に、纏を見る。
「ありがとな」
 そう告げた顔が、見たことのない悲しそうな、泣きたそうな笑みを浮かべていた。

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